ようこそ市川町へ
市川町は、兵庫県の中央に位置するハート型をした町です。
町の中央部を清流市川がとうとうと流れ、その川面に、田園と山並みが映ります。
「羅生門」「七人の侍」など、日本映画の黄金期を築くとともに、世界的にも認められているシナリオライターの第一人者である橋本忍氏は、「自分の作品のすべては、子供のとき、郷里・市川の流れを仰向きに泳いで、流されながら、見上げた空の雲、そのさまざまな雲の形の中にすべてがある。」と、生まれ故郷・市川を偲ばれています。
町の北東部にそびえる霊峰笠形山(標高939m)は播磨富士とも呼ばれ、美しい稜線を描いています。飛鳥時代に創建されたと伝えられている笠形神社から姫路城を支える西芯柱が刈り出され、その物語は、「運命の木」として語り継がれています。播磨地方と但馬地方を結ぶJR播但線と、また、中国自動車縦貫道と直結した播但連絡自動車道により遠方からのご来町も容易です。
歴史と自然が息づく豊かな大地、町を歩けば四季折々の季節の彩りを感じる風光明媚な山里。
いつもと違ったゆったりとした時間にきっと心も体も安らぐはず。
ようこそ市川町へ。どうぞごゆっくり。
市川町の産業
昭和3年頃、兵庫県工業試験場三木分場にグリーンのホールカップ切りと一緒に、アイアンヘッドが研究材料として持ち込まれました。その担当研究員の一人に松岡文治さんという人がいました。
松岡さんは川辺村(現市川町西川辺)の鍛冶工 森田清太郎さんにアイアンヘッド製作を依頼しました。 当時はアイアン製作の為の資料もなく、何度も試行錯誤を重ね、ついに刀鍛冶(かたなかじ)の技術を応用した鍛造(たんぞう)製法による国産初のアイアンヘッドが完成、昭和5年に量産化に成功しました。
開発にかかった歳月は実に3年、日本のアイアンヘッドはこの市川町で産声をあげました。
(市川町商工会HPより)
工場見学は商工会へご連絡ください。
市川町商工会
住所:神崎郡市川町西川辺163-1
電話番号:0790-26-0099
市川町の偉人
〇橋本 忍
日本映画の黄金期を築いたシナリオライター。
1918年鶴居に生まれ、招集された軍隊生活中に肺結核にかかり闘病生活の中でシナリオ作家を志す。黒澤昭監督の「羅生門」でデビューし、同作はヴェネチア国際映画祭でグランプリを獲得するなど、世界的にも高い評価を獲得した。代表作に「七人の侍」「隠し砦の三悪人」「白い巨塔」など。市川町文化センターには橋本忍記念館もあり、トロフィーや盾、直筆原稿などが展示されている。
〇内藤 利八
1856年東川辺に生まれる。国会議員として国政に参画する傍ら、播但鉄道(現JR播但線)の敷設に尽力した。1884年に姫路~寺前が開通した後、播但鉄道社長に就任した。
〇森田 清太郎
1895年西川辺に生まれる。昭和3年、まだゴルフが日本に普及していなかった頃、精密技術と刀鍛冶の鍛造技術を有していた鍛冶屋であった森田にアイアンヘッドの製作が依頼される。
約3年の月日をかけ、完成した国産初のアイアンヘッドは、現在日本国内だけでなく、世界のプロにも愛用される、市川町の誇る一大産業となっており、現在では町内約20社のゴルフ関連企業が活躍している。
市川町商工会(http://www.ichikawa-hyogo.jp/)
〇清水 喜市
1893年小谷に生まれる。部落解放運動の拠点となる神崎郡水平社を創立し、人々の当たり前であるべき平等を説き広めた。
その後も地域の生活基盤の改善の為奔走し、家屋、道路といった環境整備や子供たちの教育環境を整える等、人々の根本的な生活改善に尽力した。
〇檜本 兼夫
1913年下牛尾に生まれる。福崎・姫路で「若人」「龍謄」といった文芸誌を次々と発行し、旺盛な創作活動を行っていた。戦中も数多くの短歌を詠み、その作品は「日本短歌」に掲載され、3か月の間全国1位の座を獲得し続ける等一躍有名となったが日中戦争に招集され、27歳の若さでこの世を去った。
季節の見どころ
1月(十柱神社干支飾り) 2月下旬(市川マラソン) 3月下旬(桜の見頃)
5月(笠形山新緑登山・九輪草・山藤の見頃)
7月(リフレッシュパーク市川かぶとむしど~む開園・市川まつり)
9月(甘地の獅子舞) 10月(秋祭り・文化センター芸術祭・大通寺の山茶花)
11月(笠形山紅葉登山・芸能発表会・いちかわ産業祭)
12月(文化センタークリスマスの飾りつけ)